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by torakog

宗教ケアから見る「悲嘆」(第6期-9)

カソリックは司祭=神父さま
プロテスタントは牧師さま。
実は、この公開講座に通いだした2008年の秋に知ったこと。
身の回りにキリスト教がない、信者が友人や知りあいに居ないせいもあるんだけど。
キリスト教の大学を卒業した友人に尋ねても「どっちだっけ?」と言われるし。
実は結構これが常識だと気がついたのは翻訳を勉強してからの事だ。

今回の講師はカソリックの司祭で呼び名が神父さま。
NHKのアナウンサーのようなエエ声~な方です。



幼稚園勤務時代の子供との死別、本当に子供の死、逆縁(仏教用語だけど)って辛くて悲しくて残酷だと思う。
それでも、キリスト教者として、「永遠の命」を信じ、
キリストを信じることによって救われる、
つまり悲嘆から立ち直ることが出来るし、回復も早いというのだ。

絶対的な存在を信じること。
宗教のために殉教者になれる、身をささげられるという事。
それは「死」についての考えが私とは違うという事だ。
キリスト教にとって「死は終わりでなく新たな命の始まり」だと講師はいう。
それって、生きている人からは見えないから、新たな命と言われても実感がわかない。
理解が難しい。たぶん、信じている人には分かるものらしいけれど。

やっぱり、たった一人のかけがえの無い家族を事故や私のように稀な病気で治療の甲斐もなく失ったら、「神も仏も無い」気分になるのだろうか。

宗教ケアはグリーフケアに不可欠なんだけど、なんかとても遠いものに感じるなあ。
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by torakog | 2010-06-09 23:06 | GriefCare